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全長 86.95m
垂線間長 77.00m
幅 13.40m
深 5.30m
計画満載吃水 5.00m
総屯数 1,821.60t
航続距離 15,000s.m.
航海速力 15.00k.n.
最大速力 17.78k.n.
乗組員 35名
上官 11名
部員 24名
研究員 20名
主機関 3,800ps×230rpm×1台
プロペラ 4翼c.p.p.×1基
主発電機 600kw×3台
バウスラスタ 電動 260kw×1台
研究室 5室
物理探査、化学分析、地質資料分析、船位測定、重力測定など
観測用ウインチ
No.1 12mmφ×10,000mワイヤ
船尾ガントリより、一般目的使用
No.2 12mmφ×10,000mワイヤ
右舷ギャロースより、主として柱状採泥器用
No.3 5.4〜8.1mmφ×13,000mワイヤ
主として採水、カメラ用
No.4 17.2mmφ×6,700mケーブル
主として深海テレビ用
No.5 3mmφ×1,000m、主としてBT用
その他、プロトン磁力計用ケーブル、ハイドロフォン用ケーブル、スパー力ー用ケーブル、GEK刷ケーブルのウインチが設置された。
船尾右舷側にウインチ制御室を設けた。
その他、人工衛星システム、船上重力計、深海用精密音響測深儀など、海底地質調査に必要な設備を備えた。
当時としては、世界的水準から見て最新鋭の調査船であった。
その後、調査技術の進展に応じて、後日、今日に至るまで新たに搭載増強された機器の数も多い。
概算要求も大蔵省から認められた。ただし、通産省白身の戸算ではなく、財政投融資予算としてであった。船の予定価格は1,931,000,000円とされた。
1972(昭和47)年7月、入札の準備に入り、造船各社の応募を募った。7社が応募した。8月5日、3回に亘る入札の結果、三菱重工(株)が落札した。契約金額は19億3千万円、内、搭載機器分が約4億円である。
三菱重工では、東大海洋研の淡青丸、白鳳丸を建造した下関造船所〔以下、下船(シモセン)と略称〕で建造することとした。
着工がら竣工に至る日程は以下の順序で進行した。
1973(昭和48)年4月19日 起丁
1973(昭和48)年10月16日 進水
1974(昭和49)年3月31日 竣工引渡し
写真−1に竣工時の白嶺丸を示す。
写真−2に白嶺丸の船尾の両翼ガントリ、ならびにその上に先端を降ろしている大型クレーンを示す。
したがって白嶺丸は、着工から完成まで、ほぼ1年足らずの期間しか要しなかった。
この間、船主側と造船所である下船側の連携は密接で熱がこもっていた。
船尾、右舷、船首のウインチ配置や研究室内の機器の配置など、使い易くするために、造船所の敷地内の小尾の中に1/20の模型を作って配置し、それを皆で議論しながら、少しずつ移動させて最終案を作成した。これは白鳳丸建造の過程で実施して大きな成功を納めた手法を踏襲したものである。
ところで、日本の官庁船の乗組員はすべて国家公務貴である。民間会社の船は、これまた自前の船員によって運航されている場合が多い。金探のような法人格の機関が船を所有した例は、当時ほとんど聞かなかった。当時、郵政省傘下の国策会社であったKDDが、ケーブルシップ“KDD丸”を一応、外部委託で運航しておられる例があった。その運航方式などを参考として「地質調査船運航委員会」では勉強を重ねた。
その結果、適切な予定運航会社として「日本海事典菜株式会社」と提携して「東海サルベージ株式会社」が選ばれた。
早速、日本海事典葉の渡辺部長、東海サルベージの藤原常務に参画項き、操船の見地からの助言を数多く頂戴した。
上記2つの会社の提携で白嶺丸を運航することが予定されて間もなく、2社が出資して新たに「海洋技術開発株式会社」が作られた。なお数名の船員が株の所有者となった。白嶺丸の運航のみに専念するための会社である。船長は別として、他の十官・部員のほとんどは、船上の作業に習熟している東海サルベージから社負の提供があった。この方々は、その後、定着さ札で、母体である

 

 

 

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